大乗仏教国日本と上座部仏教国を比べるについて

日本から仏教の教えが消え失せることは、最も重要な国の歴史や文化、そして道徳を失くすことと同じです。そんな危機を迎えている今だからこそ、誰もが危機感を持ち、「仏教」について再度関心を向け、仏教とはどんなものであるのか、世界中にどんな形で残されているのか、それらの世界の仏教国と日本との違いな何なのかなど、全ての日本国民が仏教徒として当たり前の知識を持たなければならないのです。

日本と上座部仏教国の関係

かなり以前から上座部仏教国各国に日本の宗教財団などが建立したお寺があることは珍しいことではありませんでした。例えば、インドの仏教聖地ビハール州、ブッダガヤには財団法人国際仏教興隆協会により、1970年に仏教会館を封切りとする寺院や保育施設 、病院などの複合施設が設立されました。それらの資金は浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、天台宗や在家信徒など多くの宗教団体の力に支えられ、現代でも多くの日本人がここを訪れるそうです。

精神的な部分で行き詰まりを見せている現在になってからは、精神力の鍛錬修行である上座部仏教をさらに深く知ろうとする動きが活発化し、上座部仏教の国に留学生を送ったり、また、招き入れたり、上座部仏教の国に日本の各宗教の支部を置く、上座部仏教の寺院に援助を行い、現地で研修を行うなど、様々な方法で深い接触を求めています。そのためスリランカの村の寺院に、日本から勉強にやってきた修行僧の姿を見ることも珍しいことではありません。

生活の豊かさとは裏腹に、心の病に苦しむ人々が急増してしまった現代の世の中になって、上座部仏教の国の人々が持っていて日本人がいつの間にか失ってしまった大切な物を取り戻すべく、それに気が付いた人々が動きを見せ始めたのです。

日本で触れる上座部仏教

まだまだその存在を知る人は少ないかもしれませんが、日本においても上座部仏教の教えを一般の人々に広めるための協会があります。その名も「日本テーラワーダ仏教協会」です。テーラワーダというのは上座部仏教のことです。

その中心となっているのがスリランカ上座仏教(テーラワーダ仏教)長老である仏僧「スマナサーラ」氏です。彼は1945年スリランカに生まれ、13歳で出家し僧となりました。スリランカの国立大学で仏教哲学の教鞭をとられたのち、1980年に派遣されて来日。現在は、日本テーラワーダ仏教協会で活躍され、上座部仏教に関する彼の著書も本当にたくさんあります。

これらの著書は全てスマナサーラ氏自身で日本語で書かれたもので、ただでさえ理解が難しい宗教関係の知識を現地の専門家が日本語で書いた、大変分かり易い貴重な本として高い評価を受けています。彼は朝日カルチャーセンター講師の他、NHK教育テレビ「心の時代」への出演も反響を呼びました。

スリランカばかりではなく、日本の状況も深く理解しているスマナサーラ長老は、仏陀の根本的な教えを通じて、仏教とは今この場で役に立ち、自ら実践し理解する智慧の教えであることを深く人々に説いています。

彼の年間活動として、東京などの大都市ばかりではなく、地方都市を巡って様々な形で講演会を開いています。もし、興味のある方はぜひ、上座部仏教を知るという意味でも参加してみてはいかがかと思います。

日本が追うべき上座部仏教思想

現代の日本の社会の様子を見ていて、まず真っ先に上座部仏教の思想を追う、というよりも、一昔前の日本の状態に戻らなければならないと思えることは「目上の者を尊敬する気持ち」「生命を尊重する気持ち」です。上座部仏教国は特にこのことを大切にした生活を送っていますが、日本でもレベルの差はあれど、そういう気持ちを誰もが当たり前の物として持っていた時代があったのです。

目上の者を敬うことに関して、上座部仏教国では、僧に対しての最敬礼の気持ちはもちろん、学校の教師や医師を始めとする、祖父、両親に対しても「親しい中にも礼儀あり」というような、自分を造ってくれた感謝すべき人という尊敬の念を持って生活しています。特に学校内での先生に対する生徒の接し方には、あまりにも日本の現状とかけ離れたものを感じずにはいられません。

これらの気持ちを取り戻すことができれば、目上の人ばかりか、自分自身を大切にすること、さらには、自分の子供を大切にするという気持ちにも繋がると思うのです。もし、日本の人々がこの気持ちを取り戻すことができたら、現代の日本において問題となっている「自殺」や、「親殺し」「子殺し」「虐待」「動物殺し」などの事件の発生件数は真っ先に減少方向に進むと思えます。

日本の社会問題と上座部仏教

上座部仏教の修行において、「瞑想」(メディテーション)を行って自分を「無」の状態にすることはもっとも大切な、そして、難しい至点とされています。この「無」の状態とは、眠っていることとも、ボーっとしていることとも違い、心を静かに落ち着かせることにより当たりの空気に自分を一体化させ、「?したい」という自我を全て自分の中から取り払うのです。

毎日の鍛錬でこの「無」の状態に達すること、達するためのやり方などが身に着くと、あえて瞑想の時間を設けなくても、日常生活の中でも練習の時と同じように「無」の状態を作れるようになるそうです。

そうなると、周囲の人によってどんなに自分に取ってイヤだと思える状況を作られたとしても、どんなアクシデントが自分に襲いかかっても、その問題から遠ざかったり解決したりする方法を考えてはいるものの、心の中はいつも波のように穏やかで、全く物事に動じない、確たる自分を築き上げることができると言うのです。

この瞑想を身に付けるために、上座部仏教国の施設を訪れて滞在する人、また、最近では日本の寺院でも練習希望者に教えを施すというような機会を設けているそうです。

もし、多くの日本人がこの瞑想の鍛錬による至点に達することができたら、日々のストレスなどが大きな病因となるガンや心臓、肝臓、脳疾患などの生活習慣病が減少することは言うまでもないと思います。また、一昨年前の秋葉原殺人事件のように、カーッとなって周囲の人を誰でもいいから殺したくなったというような、自己コントロールを失い、心が暴走したために発生してしまう事件は全く起こらなくなると思います。

心の静を求める

仏教について良く知らない外国の人々が、仏教徒だと思っている日本人に対して、「日本とラオス、タイなどの国での仏教のあり方は、どうしてこんなに違うのですか?」と質問したとします。日本人の答えとして、「無宗教だから」「宗教に対していい加減だから」という答えを与える人が大変多いそうですが、本当にこんな答えのままで良いのでしょうか?

せめて、この答えはあまりにも恥ずかしいと思い、「同じ仏教国でも彼らは上座部仏教国、日本は大乗仏教国だから、一般の人々の生活のあり方がかなり違うのです」と、これぐらいの回答はできるようにしたいものです。

キリスト教徒であっても、イスラム教徒であっても、世界の人々は日本人よりもずっと宗教を大切に思い、宗教に準ずる生活を送っています。そういう人々に「無宗教です」と答えることは、「私達はいい加減な民族です」と胸を張って発言しているのと同じことなのです。

これまでにお話ししてきましたように、私たちはまぎれもなく仏教国に住む人間で、仏教国日本は私たちが作ったのではない、祖先が長い年月をかけて作り出した大切な遺産です。ですから、大乗仏教徒である、上座部仏教徒である、そんなことには関係なく、仏教の追い求めるもの、「心の静けさ」を追い続けながら、全ての周囲の人々へ感謝する心を忘れずに生活を正し、いつの日か誰にでも「仏教徒です」と胸を張って答えられる日本人であって欲しいと願います。

大乗仏教国日本と上座部仏教国を比べるカテゴリー項目一覧

概要

概要】 

仏教を知る

仏教発祥地について

上座部仏教国

上座部仏教国との比較(生活)

上座部仏教国との比較(文化)

寺院の様子】 【仏像】 

日本で活かしたい上座部仏教